閑話休題 ⑪ エニアグラムの話3
エニアグラムは人間理解を促します。
人は自分の学んだ欠片を、観察を通じて見つけたとき安心します。
安心感が重要でこれが自由への原点になります。
東洋の古典的な知恵の場合は、人間理解から現象理解につながりますが、エニアグラムは、人間関係の理解に特化したものとなります。人間は何かにとっくに関係付けられているので、その関係付けの理解をされたとき、自由な見方が生まれてきます。
逆に安心感がなく自由な見方ができない場合は、そのまま自分の培ってきた価値観のみを通じて現象理解になりますので、まずは自分第一な生き方になり、とても狭いものになります。
究極の自由はご存知のとおり偶然です。
その偶然を必然に結び付けるにはある程度の見方と方法が必要になります。
西洋東洋に限らず、また新旧に限らず、様々な内容のものがあります。
それは日本古来でいえば音連れであり、ヨーロッパでいえば生命の跳躍などさまなざまです。
人を見る目は例えば下記の内容でしょうか。
A.その人の精神(脳)はどうなっているのか?
B.その人の背後にある人間関係は?
C.つまり, その人の過去と現在は?
人間理解(エニアグラム)が安心感をもたらし、そこから自由な発想が生まれます。
逆に無理解であれば、自由な発想はなく、常に一定した行動しかとれません。
今までは、限られた情報の中で、効率的に生きられれば、それで生きられたでしょうけど、この何となく感じられる閉塞感チックな世の中では、逆に少しずつでも一定から離れた行動が必要かもしれません。
ようは得られた安心感からどのような飛躍へ結びけられるか、変化前と後では必ず記憶に残るくらいの出来事になります。
そうして振り返ったとき、人はその内容を嬉しそうに、人に語るのかもしれません。
とまあ、エニアグラム(人間理解)について思ったことを書いてみました。
ご一読ありがとうございました。
また思いついたら書いていきます。